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26 春が来た

クアラルンプール マレーシア

2003.04.08





 四季のある国は、ただ「四季がある」というだけで日常が多彩である。

 花見や潮干狩りなどの行事はもちろんのこと、
たんすの中身を入れ替えたりクリーニング屋さんに走ったり、
こたつやストーブや扇風機を出したりしまったり、
枯葉を掃いたり雪かきをしたり。
気候が変わるという自分ではどうにもしようのない自然の摂理のためにいそいそと(家事)労働することを余儀なくされる。

 せわしなさは伴うが、めぐりくる季節を、皆、実に敏感に感じ取っている。日本からさくらだよりが届く時期には、普段にもましてそう思う。

 ものを見て、自分のまわりを見て、季節に似つかわしい、似つかわしくないと思う。またそれらを愛でたり、時にはうっとうしく思ったりする。これらはきっと、「をかし」「つきづきし」の枕草子よりも前からの、日本固有のものだろう。

 日本語の時候のあいさつの表現は、驚くほど豊かだ。




 だら。だら。だら。

 季節の移ろいがない環境は、人や動物から、緊張感、めりはり、しまり、という類のものを奪い去る。

 常夏のここでは年中、Tシャツにハダシでよろし。緑はいつでも緑で、色あざやかな花がいつも何かしら咲いていて、どれも似たり寄ったりだ。写真を撮っても服装はいつも同じ、背景もいつも同じ。いつ撮ったものなのか、思い出すためのキーがない。
 
― 4月……、えーっと、日本では今ごろどんな服着てたっけ? ―

 記憶力も判断力も鈍ってしまった。
(気候のせいだけではないってか?)

 すずめですら、危機感が薄い。日本のすずめはとても機敏だが、ここでは人が近づいても呑気にちゅんちゅんしている。

― こっちののんびりすずめたちの方が幸せそうだな ―

 蚊でさえ、のらりくらりとゆるやかに飛んでくれるので私でも一発で「ぴしゃ!」が決まる。

― 蚊にとってはこっちの方が災難だ ―

 当然のことながら、マレー語には四季や、四季に特有の風物を表す単語が乏しい。「夏」とか「冬」は「暑い季節」「寒い季節」といった組合せ表現を使う。

 それでも(それゆえ?)、他国に触れたことのある人、情報収集力の旺盛な人々は、季節というものに独特の興味や反応を示してくれる。



 ジャスプリスさん、マレーシアのインド人、30代前半、医師。
彼が初めてイギリスを訪れたのは晩秋の夜だった。ぼんやり空を見上げていたら、なんと自分の吐く息が白い!

― こんなの見たことないぞ ―

つづけざまに
はーーーっ、はーーーーっ、はーーーーーーーっ
(白ーーーっ、しろーーーーっ、しろーーーーーーーっ)

とやってみた。面白いっ!
ロンドン滞在中、ことあるごとにやっていたそうだ。


 サンズーちゃん、マレーシアのチャイニーズ、二十歳前、学生終えてモラトリアム。バービー人形とショッピングが大好きで、ファッションや化粧品情報に目がない彼女。日本の雑誌を見て
「『コート』を着て『ブーツ』を履いて、『枯葉の街』を歩いてみたいっ!」とのたまふ。パープルのカラーコンタクトのお目目をキラキラと輝かせながら。


 チュンさん、マレーシアのチャイニーズ、年齢不詳、会社員。たまたま日本に出張したのが冬だった。自国では、手を洗ったあと別にタオルやハンカチで拭かずとも、わずかな時間ですっかり乾くものだから、特に「手を拭く」という習慣がない。(こういう人は多い)
 気の毒に。出張を終えて帰ってきたときは、生まれて初めて「あかぎれ」が出来ていた。





 一見、年中いつでもけじめなく、だらしなく(*)、秩序なく、色んな花が咲きたい時に咲いているかのようだが、一本一本の木、一株一株の草花にはそれぞれ、咲く時期、休む時期のローテーションがあるみたい。わずかな気候の移ろいを、彼ら(それら)なりに感知しているようだ。

 チャイナタウンのバス停のそばに、大きなミモザアカシアの木が涼しい木陰を作っている。去年の4月、この木に黄色い花がいっぱい咲いているのを目に焼き付けた。「4月に黄色い花が満開だった」と意識的に記憶して、一年間観察してみた。

 再び黄色が満開になったのは、今年3月第3週のこと。さらに3週間おいて、4月第2週にまた訪れてみたが、花はすっかり終わって緑の木陰に戻っていた。

 アカシアの春は、今年はちょっぴり早めに来たらしい。




(*)「だらしない」についておまけエピソードがありますよ。


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