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| 2002.01.29 |
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大晦日の夜、衛星放送で紅白歌合戦を途中から見た。白組、優勝〜! の後、いつものように、過ぎ行く年に別れを告げる「蛍の光」を聞いてから、近所の噴水広場で催されるカウントダウンに出かけることにした。 |
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| *** 「蛍の光」のルーツ *** |
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| 【1】 もともとは、賛美歌370番「目覚めよ我が霊」で、その詩は1755年フィリップ・ドッドリッジの作 ― さんびかだったのか ― 【2】 その賛美歌のメロディーに、1788年、スコットランドの詩人、ロバート・バーンズが "Auld Lang Syne" (=遠い昔の日々)という歌詞をつけた。詩の内容は、楽しかった昔、古くからの友情を歌ったもの。 ― ほう、これが「スコットランド民謡」とされる、原詩だな。なんだ、別れの歌じゃないんだ ― 【3】 スコットランドでは、舞踏会や親睦会の終わりに、客が帰るに先立って全員でこの曲が歌われる習慣があり、国家にも匹敵するもので、様々な集まりで歌われるそうだ。 ― ふむ、「皆で楽しく歌う歌」なんだな ― 【4】 明治の頃、有栖川宮威仁親王が海軍軍務研究のために英国に留学したことがあり、その時 "Auld Lang Syne" (=遠い昔の日々)と出会い、「訣別」という独自の詩を書いた。親王の帰国後、海軍に広められ、大変よく歌われた。 ― ここで「別れ」になっちゃったのか。この人、「舞踏会の締めの歌」を「別れ」と勘違いしたのかな、それとも、軍事に関わっていたその状況がそうさせたものか ― 【5】 また、明治42年頃、海軍省が詩人大和田建樹に依頼してこの曲に「別れ」という詩を作ってもらった。軍艦が港を出発する時、楽隊は「軍艦行進曲」の後にこの曲を演奏し、仲間を見送ったという。 ― どんどん「別れ」が定着して行くな ― 【6】 一方、「蛍の光」は、正式名は「蛍」という題名で、東京師範学校の教員だった稲垣千頴(ちかい)によって「蛍雪の功」をモチーフにして作詞された。訳詩されたわけではない。 ― な〜る。学校の先生が作った「卒業の歌」なのか ― |
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| *** まとめ *** |
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| もともとスコットランドでは、故郷、友情を大切にしよう、という内容の歌で、舞踏会などの集まりの締めの曲として楽しく歌われていたものが、大晦日を越えて新年を祝い大切な人と共に歌う歌になっていった。それを、英国留学中に見聞した人の勘違い、或いは職務から来る状況により、日本では「別れの歌」として独自の発展をしていった。 |
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| そういえば。 紅白を「途中から」見たわけは、その前にとなり町まで晩ごはんを食べに行っていたからなんだが、そこにあるスコティッシュ・パブの前を通った時、ちょっとだけ夜会風に着飾った西洋人たちが陽気に語らいながら大晦日を過ごしていた。彼らはあのままパブに居続けて、新年を迎えた瞬間、 "Auld Lang Syne" (=遠い昔の日々)を皆で楽しく歌ったのかも知れないな。 |
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| 遠い昔の日々(Auld Lang Syne) 古き友は忘れられて 二度と心に戻らないものだろうか 古き友は忘れられて 遠い昔の出来事になってしまうだけなのか? 遠い昔の日々よ、ああ友よ 遠い昔の日々よ 今からでも友情の杯をあげよう 遠い昔の日々のために (中略) さあここに手がある、真の友よ 君の手も頂こう 今日はじゃんじゃん飲もうではないか あの遠い昔の日々の為に そして君はあっという間にバケツほど飲んで 俺もそれと同じくらい飲んでしまうだろうが 更に乾杯の為に飲むことはできる あの遠い昔の日々の為に ロバート・バーンズ |
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| この詩を知っていたわけではないが、カウントダウンの後偶然にもコンドに帰り着く一歩手前で思いついた。 「ビール飲んでく?」 2002年の幕開けは、よく冷えたビールで乾杯した。ぐび。 ☆最近では学校の卒業式で「仰げば尊し」も「蛍の光」も歌わないんだそうですね。姪っ子に、どちらも知らないと言われました。 |
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